監査の目的と重要性についての雑感

51% の信頼を目指す

100% 信頼を目指すやりかたは、たぶん間違っている。

刑事事件で活躍する人質交渉人は、「51%」の信頼を目指すのだそうだ。

犯人が人質を取った状況。もちろん正義は警察側にあるけれど、人質はまだ犯人側。交渉に失敗は許されないし、交渉人は警察側、犯人とは本来、敵対する側の人間。その人がどんなに魅力的な人物であろうと、犯人が信じるわけがない。

人の命がかかったこんな状況では、嘘や「はったり」は禁じ手らしい。ばれたら人質死んじゃうから。ギャンブルは許されないから、交渉人はとにかく犯人と会話を続けて、嘘をつかないで、自分で解決できる範囲の「小さな約束」を犯人と重ねては、わずかな信頼を積み重ねていく。

人質交渉人と、犯人との交渉が始まった段階では、信頼は0 %。交渉を重ねて、信頼を高めていくときの「目標」となるのは 51% 、信用と不審がない交ぜになって、なおもごくわずかだけ、交渉人のことを犯人が信用することを決めた、そんな状態であって、100% の信頼ではないのだという。

100%というのは、高すぎる目標。これを目指してしまうと、どうしても嘘や「はったり」を混ぜる誘惑にかられてしまって、交渉は失敗してしまう。

人質交渉を開始する段階では、、警察側は圧倒的な武力で状況を支配していて、犯人には自らの「実力」で状況を打開するすべが無いことが前提条件。嘘をつかないで、犯人と交渉人、お互いが置かれている状況を分かりやすく説明して、状況に対するお互いの理解を共有できた時点で、信頼度は50%まで持って行ける。

人質交渉で一番難しいのが、最後の1% を積むことなのだという。50%までは、分かりやすい説明と、嘘をつかない態度でどうにかなるのだけれど、最後の1% だけは、やはり交渉人の人間性みたいなものを信じてもらうしかないのだとも。

目標を高く大きく、一気に100%目指すやりかたというのは、嘘やはったり、安請け合いを利用するやりかた。

「大丈夫ですよ」「必ずよくして見せますから」なんて言葉を安易に発すれば、そのときはたしかに信頼を得られるかもしれないけれど、万が一状況がコントロールできなくなったとき、信頼は一気にゼロに戻って、たぶん二度と回復しない。

「神様」演じて最初に楽すると、もう謝れない。

途中から演じきれなくてボロが出て、失敗すると悲惨なことになる。嘘をつかないで、サボりもするし手も抜くし、もちろん失敗だってする、「医師という人間」のことを、何とか丸ごと理解してもらうやりかた、ご家族の「不審の目」を、いつまでも半分残してもらうようなやりかた目指したほうが、結局自由に振る舞える。


「レジデント初期研修用資料」地雷原の歩きかた

http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/20


これは、大変に的を得ている話。
この人、ほんとにすごいな。
100%はありえない。けれど、しばしばその事を忘れてしまう事はある。
本当に大事なのは現実的な「落とし所」。
監査基準における「監査の目的」も言っているのはきっと同じ話。
実際の監査実務ではどんな感じなのか知らないけれど、信頼を定量化して考えるようなそんなアプローチの設計は、人間を相手にするどんな仕事でも大事。
これは「監査の重要性」とはまた違った話。監査の目的の領域の話。


信頼を定量化する方法は、やっぱり統計ということになってくるのでしょうか。
この辺の本↓を読んでるとそんな気配はします。もうちょっとちゃんと勉強してみたい。
信頼の定量化を目指すアプローチは、「職業的専門家としての経験」とかに依拠する制度設計とは方向性が違う。下記の本は「絶対計算者VS専門家」の話だけれど、会計士業界にもきっと倣える話はあるんでないかと、素人目に考えたりする。

その数学が戦略を決める

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